炭焼記録No.2  記録:木曽野

原木の立込(1)(H15.7.3)
いよいよ土天井を載せるための炭木の立て込みだ。集積してある原木の中から樫を選りすぐって、粗朶にして小窯の周辺から立込む。明石さんは木切れで粗朶そくりの道具をこしらえた。πを逆さにしたようなもので2基つくり、そこに細い木を並べて藁でそくるのだ。炭木の立て込みは窯口に行くにしたがって太いものを立てていく。また窯口近くはほとんど灰になってしまうのであまり価値の無い木でいいのだ。土天井は中央を丸く盛り上げるので周辺の腰より長い炭木を用いる。隙間の無いように一本ずつ丁寧に立て込むのだ。
原木の立込(2)(H15.7.4)
原木の立て込みはほとんど終わりに近づいた。隙間のあるところは後で細い木を詰めていく。小屋組の丸太にちょこんと腰掛けているのは明石さんのお孫さんの偉籍君である。歳はもうすぐ三歳になる。炭窯づくりには必ずついてくる。現場ではみんなのアイドルだ。ジッと見つめられるとおじいちゃんも気が抜けないのだ。
型木載せ(H15.7.5)
土天井を載せるための型木を立て木の上に並べていく。丁度良い天井の丸みにしなくてはいけない。窯の直径が1.8mなので中央の高さは30〜40cm程がよいだろう。
切子載せ(H15.7.6〜7.8)
さらに天井を丸くして均一に粘土を覆うことが出来るように小枝を鉈で切り刻んだ切子で型木の目つぶしをして程良い丸みに仕上げていく。切り子は鉈で刻むため生木がよい。このため近所の森さんの協力を得てエノキの枝をいただいた。切り子を丁寧に並べていくと放物線を描いて芸術的に仕上がった。いよいよ次はテンジョーイ(君津市史民俗編では天井覆いのこととしている)となるのだ。
ぼた餅テスト(H15.7.9)
テンジョーイで使う土は粘土だけではひび割れが生ずる。そこで粘土と砂を配合して天井に耐える土をつくらなければならない。写真は粘土と砂の配合を変えて造ったテストピースだ。実際にテンジョーイの時も土のぼた餅を作って天井を覆っていくのだ。左の5個は6月末につくったものでここで使用する粘土と砂では粘土2/3砂1/3が適切と判断した。右のぼた餅は現場配合してつくったテストピースだ。
骨休み1(H15.7.14〜15)写真は瑞応寺裏の高台から
一月以上に渡って肉体労働が続いたので、骨休みを取ることとした。骨休みには温泉がいい。そうだ半兵衛さんの生誕地は湯河原町鍛冶屋ではないか。そこで明石さんと二人で半兵衛さんの消息を探る旅に出た。湯河原町役場で伺うと鍛冶屋ではお寺は黄檗宗の瑞応寺だけとのこと、寺に行くと住職のお母さんが11時の鐘を突いていた。半兵衛さんの性は常盤なのでお話しすると鍛冶屋には常盤さんが20軒はあるとのこと。長老の常盤晴夫さん(92)を紹介していただく。晴夫さんの話「半兵衛さんが他国へ行って炭焼を教えたとの話を聞いたことがある。私の所は分家だから歴史は浅い」とのこと。お話の後、息子の清司さんが炭窯や本家の常盤定敏さん(93)宅などに私達を車で案内して下さった。
骨休み2(H15.7.14〜15)
清司さんの炭窯はミカン畑のずっと上にあった。今は使われてないが、構造も大きさもほとんど私達が造っているものとおなじだ。常盤定敏さんは突然の訪問にもかかわらず私達を快く迎えてくださった。三百年前に建てられた瑞応寺の土地一町歩程を御先祖様が寄付されたといわれるほどの旧家だ。定敏さんは私のノートに土窯の構造図を描いてくれた。この図も私達が造っているものと全くおなじだった。土窯は離れた地でも確実に継承されているのだ。また物置には素金が沢山あって戦争中に供出したとのこと。定敏さんが熱心に語る姿を見ていると半兵衛さんはこのような方ではなかったかと思われてきた。
骨休み3(H15.7.14〜15)
鍛冶屋集落の最上流に幕山公園がある。梅林が有名だそうだ。案内して下さった清司さんもこの梅を植えたとのこと。宿泊は公園近くの「まきやま旅館」とした。温泉にゆっくり浸かり海鮮料理とお酒をたくさん御馳走になった。今までの疲れが一気に回復していくようだ。翌朝常盤清司さんが旅館を訪ねてきてくださった。昨夜、晴夫さんから新しいお話を得たという。また吉浜には豪商の常盤さんが居たことなどお伺いしながら再び車で湯河原図書館まで案内していただいた。かねてから連絡をさせていただいた中村さんは不在だったが、代わりの方が郷土の資料を探して下さった。一泊二日の小さな旅の印象は一言で言えば清司さんをはじめ町民の方々の親切にふれることができたことである。半兵衛さんもきっとこうした親切な方であったに違いない。

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