炭焼記録No.3  記録:木曽野

テンジョーイ1(H15.7.19)
いよいよ炭窯づくりでも特に難しいテンジョーイとなった。テンジョーイとは君津市史民俗編によれば天井覆いのこととある。またこの日は作業の性質からたくさんの人手を要する。粘土と砂を配合し練る人、粘土を一定の大きさにぼた餅のように丸める人、このぼた餅粘土を窯の天井に並べていく人などである。昔からテンジョーイにはぼた餅を造りお祝いをしたそうだ。そこで今日のテンジョーイには三経寺の蓮波住職をはじめ写経会の皆さんや御近所の皆さんなどをお願いしてワイワイと楽しく作業をすることとした。
テンジョーイ2(H15.7.19)
作業は切り子の上に筵を覆うことから始まる。材料は先のテストピースの結果から粘土2対砂1の配合とした。材料の練り合わせは小型耕耘機を活用した。昔は鍬や足で練ったという。ジョーロの水で含水比を整えながら練る。練った材料はボールに入れ一定の大きさにして手で丸める。赤ちゃんの頭ほどの大きさである。これを一つずつ窯の腰の上から鉢巻きをするように並べていくのだ。
テンジョーイ3(H15.7.19)
粘土ぼた餅を並べているのは明石さんだ。慎重に一個ずつ並べていく。粘土ぼた餅の重さを量ってみると一個当たり平均3.7kgあった。しかし品質管理が勘によるものなのでバラツキが多い。大きさや重さががマチマチになる。練り合わせた粘土は時間が過ぎるごとに乾燥が進んでしまうのだ。それでも何とか手際よく天井を覆っていくことが出来た。
テンジョーイ4(H15.7.19)
テンジョーイも頂部に近づいてきた。時々竹串で造った厚さ計測用のバカ棒で厚さを確認する。ほぼ15cm程の厚さは確保できた。しかし次の作業では天井を叩きながら乾燥させるため大分薄くなるのだ。
テンジョーイ5(H15.7.19)
テンジョーイが完成したところで記念撮影。初めての仕事だったけれどみなさん満足した様子。結局3.7kgの粘土ぼた餅244個で天井を覆うことが出来た。総重量は900kgになる。お相撲さん6人分の重量だ。この後、火入れ式を行った。窯の中の詰め木には火がつかないように少し燃やしてみる。煙突からほのかに白い煙が立ち上った。ヤッター小窯は十分機能したではないか。明石さんの考えていたとおりに作業は進んだ。
テンジョーイ6(H15.7.19)
テンジョーイお祝いには女性も参加いただいた。朝早くから祝宴用の料理づくりに取り組んでいただいたのだ。祝宴の場はは炭窯を見下ろす高台の休憩所。手づくりの料理に参加者全員が舌鼓を打った。とくに現地で焼いた野趣あふれる鳥手羽の炭火焼きは好評だった。
天井の乾燥1(H15.7.20)
天井の乾燥は根気のいる仕事だ。いきなり窯の中の詰め木を燃やすことは出来ない。天井が十分乾燥してからでないと落ちてしまうのだ。そこで窯を暖めながら、ただひたすらに木片で叩くのだ。叩いているうちに中の水分が表面に滲み出てきて乾燥が進む。しかしこれが難しい。粘土は柔らかくなると下の方に下がってしまうのだ。だから下から上に叩き上げるようにしないと頂部が薄くなる可能性がある。また粘土ぼた餅すべてが一定の含水比ではないので油断をすると水分の多いところが流動してしまうのだ。その日の作業を終えると濡れた筵で天井を覆い養生をする。根気のいる仕事が何日続くのだろうか。
天井の乾燥2(H15.7.25)
テンジョーイが終わってから、ただひたすら土天井を叩き続けて一週間になった。叩く道具は、明石さんが生の栗の木で造った。毎日使っていたので握りの部分が光り艶が出てきた。窯口からは乾燥させるための火をチロチロと燃やし続けた。昨日までは煙突から水蒸気が白く立ち昇っていたのに、今朝はほとんど出ていなかった。室内が乾燥してきた証拠である。
天井の乾燥3(H15.7.25)
テンジョーイが終わって3日目から、炭小屋前後の柱と天井を見通して水糸を張り、天井の下がり具合を測定した。毎日4mmずつ下がり、今日までに12mm下がった。天井が完全に乾燥すれば下がりはなくなるのだろうか。天井は窯口の方から乾燥して白くなってきた。ひび割れが心配なので急激に乾燥しないようさらに留意していかなければならない。

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